64分、1952年公開、製作:理研映画、配給:新東宝、白黒、スタンダード、モノラル
はじめに
シネマヴェーラ渋谷にて2019年の特集「玉石混淆!? 秘宝発掘! 新東宝のとことんディープな世界Ⅳ」の折に本作を初めて観た。製作当時の渋谷駅の様子など興味深い場面がいくつもあったため、もう一度観に行ったことを思い出す。
何とか本作について調べることができないかと思っていたが、やはりそれにはもう一度映像を見ることが必要。残念ながら本作品はソフト化されておらず、テレビ放送も行われていないようなので手元に映像素材はない。シネマヴェーラ渋谷での上映には新東宝特集の企画に参画している下村健氏が入手した16mmフィルムをデジタル化したものを使用していたことを思い出したので、思い切って下村氏に映像の提供をお願いしてみた。すると条件付きで拝借することが叶い、本ページの調査を始めることが可能となったのである。
下村氏は、かつて存在していた映画会社「新東宝」の研究で有名な方である。氏が開設しているWebサイト「新東宝データベース 1947-1962」はとても参考になるサイトである。是非ご覧になっていただきたい。
写真下に記載した「h:mm:ss」は録画開始時からの経過時間である。参考までに、本編開始時間は、「0:00:10」である。おおよその経過時間と考えていただきたい。映画本編のキャプチャ画像は時系列順に並べて、説明をしていく。
文中に《数字,数字》 の箇所があるが、これはグーグルマップで認識する緯度経度である。リンクを貼っているので現在の地図を参照することができる。また、この緯度経度を使用してグーグルマップで検索するとその場所が表示される。
調査報告
では本作品について記していきたいが、肝心なことには触れずどうでもよいことを取り上げることもあるかもしれない。筆者の独断と偏見で構成していることをご理解いただきたい。
作品タイトルには「ドキューメタリー」とあるが、現在では「ドキュメンタリー」と称するのが一般的。当時は作品タイトルのように称するのが一般的だったのかは不明である。
本作はドキュメンタリーの体で綴られているが、実際には役者が演技している。下村氏からお借りした本作の台本にも役者名が記載されているのでそのことが分かる。
出演者を紹介した『犯罪ドキューメタリー映画 青い指紋』を考える〈役者編〉も公開しているのであわせてご覧いただければ幸いである。
冒頭シーンは隅田川を航行する警察船舶を写しているが、その船舶がくぐろうとしているのは勝鬨橋であろう(写真-0:00:39)《35.66232294845122, 139.77480267944824》。このように小型船舶であっても橋を開いているのは無駄な動きのようにも思える。当時は一日に3回開いていたらしい(開く時間が決まっていたのではなかろうか)ので開いているときに撮影したと思われる。このように開いた状態の勝鬨橋はとても貴重な映像と言える。残念ながら、現在の勝鬨橋は開くことはない。袂に「かちどき 橋の資料館」もあるので訪ねてみてはいかが。また、勝鬨橋橋脚内の見学ツアーもあるそうだが現在はコロナ禍のため休止しているようだ。
ところで、勝鬨橋には都電が走っている。ということは架線が張られてるのだが、橋を跳ね上げたとき架線がどうなっているのかと興味がわいてくるのは筆者だけだろうか。
(写真-0:01:18)の左に写っているのは髙島屋のマークなので中央通りにある日本橋店ではなかろうか。昭和20~30年頃の古い写真を見ても 髙島屋マークのネオンらしきものは見当たらないので自信はない。
(写真-0-01-26)はかつて銀座にあったキャバレー「ショウボート」と思われる。ネオンの風車が回っている。ウィキペディアによると所在地は「東京都中央区銀座8-4-17」《35.66845157078616, 139.75914489738128》で、現在はリクルートのビルになっている。
劇映画『武蔵野夫人』(1951年、東宝)、『日本一の男の中の男』(1967年、東宝&渡辺プロ)などにもこの場所が写る場面があるらしい。
(写真-0:01:38)はパトカーが警邏している映像だが、隅田川に架かる清洲橋《35.68243431190435, 139.79180830820107》とみて間違いないようだ。当時の路面はアスファルト舗装ではなく、石畳になっているように見える。
(写真-0:01:38)にて、橋の吊材に取り付けられている照明が確認できる。現在の橋にも取り付けられているが、当時のものではない。デザインはそのままでLEDライトのものに作り直されているそうだ。当時の照明は橋の袂(中央区側)に展示されている。
(写真-0:01:42)は警邏中のパトカー。左折中のために方向指示器が飛び出している。このように昔は矢羽式方向指示器がよく見られた。筆者が半世紀以上前(1960年代)に乗車したバスも矢羽式方向指示器が装備されていたことを未だに記憶している。運転席後ろの席に座って、この飛び出す方向指示器を良く眺めていた。
(写真-0:01:55)、パトカーには時計が設置されていないようなので、本部から現在時刻を知らせる無線連絡が入る。警官は腕時計で時刻を合わせる。無線では「23時」と言っている。映像の解像度が悪いので何とも言えないが、腕時計の針は23時を指してはいないように見えるが…。
(写真-0:02:11)、警邏中のパトカーの後部座席に人が乗っているが警官だろうか、それとも撮影スタッフだろうか。
(写真-0:03:01)は、110番通報があったときに映し出される警視庁管内の地図パネル。現場が世田谷警察署管内なのでここをアップで写す。ランプが点灯している所が世田谷警察署の場所だと思われる。当時の世田谷警察署は現在の場所(世田谷区三軒茶屋2-4-4)ではなく下高井戸線(現・世田谷線)の若林停留場の近くにあった(まさしくランプの場所)。当時の住所は「世田谷区若林町393番地」、現在の住所では「世田谷区若林4-5-17」で「警視庁少年育成課世田谷少年センター」《35.64642527779479, 139.6591497776475》となっている。玉川線は三軒茶屋停留場と上馬停留場の間は専用軌道を走っていたので、この地図はそれを忠実に描いている。なかなか芸が細かい。
110番通報の後、警邏中のパトカー「330号」に対して「現場に急行せよ」と本部から指示が出る。指示を受ける直前のカットに写るパトカーの車番は「47-244」(写真-0:03:06)。
(写真-0:03:40)は現場に到着した場面だが、パトカーの車番は「47-244」ではなく「47-245」になっている。続くカットで乗務している警官は本部との通信で「330号」と言っている。「330号」パトカーは2台存在するのだろうか。
強盗事件の現場は「世田谷区上馬町1545」の山本一郎宅。この場所はどこだろうかと当時の地図を調べてみた。1952年以前の地図はなかったので1954年のものを見ると上馬町は1丁目~3丁目に分かれている。残念ながら犯行現場の住所は架空のもののようなので地図上で特定することはできなかった。
(写真-0:05:46)は、被害者山本一郎宅の電話機である。電話番号は「世田谷局3598」。確信はないが、「3号自動式壁掛け電話機」ではなかろうか。このような壁掛け式の電話機は古い日本映画を見ているとよく見かける。
(写真-0:07:27)は犯人が侵入したと思われる風呂場(台詞では「湯殿」と言っている)の窓。昔の日本家屋では当たり前に使用されてる捻締り錠(ねじしまりじょう)が写っている。近年の家屋はサッシ窓が主流になったのでこのような錠を見たことがないという方もいるのではなかろうか。
この映像では大小ふたつの湯船があるように見える。大きい方は人が浸かるのだろうが、小さい方は何のために使うのだろうか。おそらく、小さい方には熱い湯を入れておき、大きい湯船の湯が減った時やぬるくなった時に加えて使用していたのではなかろうか。こうすれば追い炊きしなくてもOK。
強盗に襲われて入院中の被害者の証言を録音しようとする場面。(写真-0:11:21)に写っているのはワイヤーレコーダー(鋼線式磁気録音機)のようだ。本映画ではこのようなアップの映像しか映らないが、こちらのWebサイトに取り上げられている「ウェブスター・シカゴ社 モデル228」によく似ている。このサイトでは実際に再生した音声を試聴できるようになっているが、そこそこの音質で再生されている。約0.1mmの針金にこれだけの情報を記録できるとは驚きである。
ワイヤーレコーダーは、オープンリールの磁気テープレコーダーが本格的に普及する前に利用されていたものである。テレビドラマ「スパイ大作戦」でワイヤーレコーダーで録音したワイヤーを敵方に見つからないように隠す、というような話があったことをなんとなく記憶している。劇映画『孔雀の園』(1951年、新東宝)、劇映画『札束無情』(1950年、アメリカ)や劇映画『ヨーロッパ一九五一年』(1952年、イタリア)の中にもワイヤーレコーダーが写る場面があった。日本ではあまり普及されなかったらしく、映像作品に記録されているのはかなり珍しいと言える。
(写真-0:11:29)は世田谷警察署の正面玄関の場面。こちらのWebサイトに昭和10年に移転した世田谷警察署若林庁舎の写真が掲載されている。正面左側の円筒形柱、右側の角柱に付いている球状の照明などから同じ建物だろうと思われる。本物の世田谷警察署でロケを行ったようだ。
(写真-0:16:08)はホトケ刑事(山田巳之助)が犯行現場(東京都世田谷区上馬町)近くで手掛かりを探している場面、走って来た輪タクの油さしに興味を示す。専用軌道を走る車両には「T.K.K.」と書かれているので東急線であることが分かる。「T.K.K.」の下部に記載されている数字は読み取ることはできないが、一桁であるようだ。おそらく「東急玉川線1形」車両だろうと思われる。⇒『鉄道今昔 よみがえる玉電 車両・停留場・街角の記憶(井口悦男・三瓶嶺良著、学研プラス発行)』の144ページに写真が掲載されている。よってここに写っているのは玉川線(通称:玉電)で間違いないと思う。玉川線はほとんどが併用軌道を走っているが、次の4箇所は専用軌道となっている。
①渋谷駅から道玄坂にぶつかるまでの間
②三軒茶屋停留場と上馬停留場の間
③桜新町停留場と用賀停留場の間
④瀬田停留場と二子玉川駅の間
このシーンのように線路が道路の真ん中ではなく端に敷かれているのは②と④に該当する。殆ど自動車の行き来がないので④ではないかと思っていたが、特定はできずにいた。
二子玉川に私設の資料館『大勝庵 玉電と郷土の歴史館』が存在することを思い出し、玉電の専門家の館長大塚勝利さんに意見を伺おうと訪ねてみた。そのシーンの画像を見てもらった所、「懐かしいなぁ」と一言。少し考えておられたようだが、「ここは(玉川通り・国道246号線の)三軒茶屋から上馬の間で奥が上馬方面だね」のお言葉。私は、瀬田停留場と二子玉川の間では?と問いかけたら、「あそこの道幅はこんなに広くはない」とのお答え。「(画像を見て)ちょっとわかりにくいけど緩い上り坂になっているでしょ」とも。現在のこの辺りの道路の様子を想い浮かべてみると(上馬方面へ向かって緩い上り坂で、上り切ったあたりから右へカーブしていく)なるほどそのようだ。軌道の右側の高台も当時と同じように残っている。
映画のこのシーンを再度見てみると、画面の奥の方から自動車の影がこちらにだんだん近づいてきて(写真-0:17:07)のように輪タクの左側を通り過ぎてゆく。よく見るとこの自動車は画面の真ん中あたりに現れて右の方へ移動して一旦見えなくなる。そして右方向から現れて線路を渡ってきているように見える。おそらくこの自動車は脇道から玉川通りに右折して入って三軒茶屋方面へ走っているのだろう。
この専用軌道は道路の端に寄っているが、併用軌道になる所(上馬停留場の手前)では道路の真ん中に進んでゆく。ということは左側通行で走って来た自動車は線路を跨がざるを得ないのである。まさにこの映像の通りの動きとなる。
さて、三軒茶屋停留場と上馬停留場の間にはもう一つ玉電中里(たまでんなかざと)停留場が存在した。専用軌道部分に位置してホームには屋根があり、駅舎や売店もあったという。映画のシーンにはこの玉電中里停留場は写っていないのでロケ地は、玉電中里停留場と上馬停留場の間であろう。
以上の事から(写真-0:16:08)から始まる一連のシーンは、国道246号線の世田谷区上馬一丁目付近《35.63810329505189, 139.66685473514383》であると断定して間違いなかろう。現在もバス停の名称として「中里」の名が残っている。今では高速道路があって車がひっきりなしに行き交っており、この場所が1952年当時はこんなに長閑だったとは驚きを隠せない。
さて映画はこの後、輪タクはホトケ刑事(山田巳之助)を乗せて世田谷警察署へ向かう。先に述べたように当時の世田谷警察署は下高井戸線の若林停留場の近くにあったので、輪タクはUターンして上馬方面へ向かう。これは妥当な経路選択と言えよう。
この写真は現在の様子。下り車線(上馬方面)を見て撮影したが、上り車線(三軒茶屋方面)部分が玉電の軌道跡である。当時のことを忍ばせる痕跡は残っていないようだ。
輪タクも現代では忘れ去られたもののひとつ。実物を見たことがある、乗ったことがあるという方はかなりの高齢だろう。筆者も現物は見たことはない。現代でも東南アジアなどにはまだ残っているようだが…。
(写真-0:17:07)の輪タク運転手の脛の部分を見て欲しい。靴下のずり落ち防止のための靴下留め(ガーター)を使用している。筆者の想像だが、初期の靴下はゴムが編み込まれていなかったり、あってもすぐに伸びてしまうなどして、すぐにずり落ちてきてしまっていたのだろう。そのため靴下留めが必要になっていたのだと思われる。男性が利用するのは現代では珍しいと思われるが、昭和初期~20年代くらいの映画を見ているとしばしば靴下留めを見かけることがあるので昔は普通の事だったと思われる。
(写真-0:18:56)はホトケ刑事(山田巳之助)が現場から遺留品の油さしを持ち帰って来た場面である。ここで、壁にかかっているカレンダーに注目していただきたい。画像がボケてしまっているが、1日は水曜日、31日の金曜日で終わっていることがわかる。本映画の公開年月は1952年5月なので、このような「月」に該当するのは直近では1950年3月、1951年8月の2回しかない。刑事部屋に掲げられているカレンダーは「1951年8月」のものと考えて間違いはなかろう。街中をゆく人々は半袖の人が多いので撮影は1951年の夏季に行われたものと推定できる。
世田谷署の刑事部屋から見た窓の外が写ることがあるが、これは当時の世田谷署のあった若林町から見えていた景色かもしれない。
(写真0:20:45)は渋谷駅(現在の南口バスターミナル)である《35.65824286713337, 139.70107571090878》。奥の高架には銀座線車両が見える。当時は3両編成だったようだ。左奥の建物には「千代田銀行」とある。千代田銀行は現在の三菱UFJ銀行の事である。1948年~1953年の間は千代田銀行と改称していたそうだ。現在も同じ場所に三菱UFJ銀行渋谷支店が存在している。
現在の渋谷駅南口は渡り廊下ができてしまっているので銀座線が見えなくなってしまっている。撮影当時とは全く異なる光景が広がっている。
(写真-0:21:37)はホトケ刑事(山田巳之助)が渋谷駅前で輪タクの運ちゃんたちに聞き込みをする場面。刑事の肩のあたりに見えるのは、空中ケーブルカー「ひばり号」。玉電ビル(東急東横店西館、2021年10月現在解体中)と東横百貨店(東急百貨店東館、解体済み)の屋上間を往復していたロープウェイ。1951年~1953年の間にだけ存在していたので動く様子が写っているのは大変貴重。玉電ビル(4階)と東横百貨店(7階)には高低差があったので、ひばり号には山岳ケーブルカーのように車内に段差が付いていた。 ひばり号 に関しては書籍「渋谷上空のロープウェイ」に詳しい。かなり詳しく調査されているので一読の価値あり。
参考のためにひばり号の運行経路(赤線部分)を左図に示す。東横百貨店から出発し、玉電ビルに到着、そのまま折り返して東横百貨店に戻ってくる。玉電ビルでは下車できないようになっていた。また、乗車できるのは子供のみだったという。
劇映画『東京のえくぼ』(1952年、新東宝)では上原謙と丹阿弥谷津子がこのひばり号に乗り込む場面がある。
(写真-0:22:19)、(写真-0:22:22)は刑事が聞き込みをするため時計店を訪ねるシーン。ここはどこだろうか。これらカットに小田急バスや「75」と書かれた電車が通過するシーンがある。電車は玉電車両のようだし、坂道になっているので道玄坂ではないかとあたりをつけてみるとやはり正解。交番がある近く、玉電が道玄坂と別れていく交差点そばであることが分かった《35.65743675756628, 139.6959698328855》。引用した1957年の地図は道路形状がかなりデフォルメされている。
左の写真は、Twitterで見つけたBON(@1632bdkrst)さんのツイートに添付されていたもの。池袋駅西口の様子で、奥の白い建物が東横百貨店池袋店。この写真と(写真-0:22:34)を比べると建物の窓の形などがよく似ているので本作に写っているものは東横百貨店池袋店(後に東武百貨店に売却)ではないかと思われる。
なびすこ(@hiyajisu)さんのツイート情報によると、劇映画『終電車の死美人』(1960年、東映)に東横百貨店池袋店が写る場面があるとのこと。この作品、筆者は未見なのでぜひ見てみたいものだ。
(写真-0:22:47)、(写真-0:22:48)、(写真-0:22:49)、(写真-0:22:50)、(写真-0:22:51)、(写真-0:22:53)は、渋谷駅八号口の交差点を歩く刑事の姿をキャメラが右へパンしていくカットである。三和銀行、キラク、三千里、山手線のガード及びホーム、東横百貨店などを確認することができる。
現在も「三千里薬品」は元気に営業しているが、1952年の創業時は食堂だったという。まさに本映画の撮影の頃に開業した出来立てほやほやのお店だったのである。1962年に薬屋として再スタートをきったそうだ。なお、甘栗は1952年から販売していたという。(写真-0:22:49)では「大〇〇中華料理」と読めるが、〇〇部分は何と書かれているんだろうか《35.659607769099715, 139.7008208945731》。「大食堂中華料理」?
現在は、東横百貨店本館(後に東急百貨店東館)の建物はすでに取り壊されてしまっており、この部分の一部は埼京線ホームとなっている。以前の恵比寿駅寄りのホームに比べると格段に乗り換えが楽になった。
左図は1957年の渋谷駅前の住宅地図である。道路や土地はかなりデフォルメされているので実際の様子とは異なるが、三和銀行、キラク、三千里が記載されている。
参考までに現在の西武百貨店の場所を示しておく。
(写真-0:23:14)、ここは見覚えがある。建物の形や「地下鉄」の案内板があるのでここは上野駅の正面玄関だと思われる《35.71252255758812, 139.77698988721997》。
(写真-0:23:22)は銀座四丁目交差点である《35.671432980358354, 139.76504968023778》。銀座五丁目から京橋方面を写している。解像度が悪くて非常に見にくいが楕円部分の看板には「TOKYO PX」と書かれている。これは松屋銀座店の事である。進駐軍に接収されて軍人・軍属専用になっていたのだ。「PX」とは「Post eXchage(酒保)」のこと。「三和銀行」の場所は、現在は「三菱UFJ銀行」となっている。
(写真-0:23:34)、(写真-0:23:38)は浅草の国際劇場と思われる。撮影年代は不明だがWeb検索で見つけた国際劇場の写真と見比べてみよう。
まず、正面壁面に掲げられている劇場名の文字「国際劇場」の位置が異なっている。しかし、正面玄関屋根の装飾(円形の紋章など)、屋根に立っている塔の形状、四角や円形の窓などはよく似ている。(写真-0:23:38)の右に写っている煙突も撮影年代不明の国際劇場の写真に存在する。
よって、この場所は国際劇場と判断して間違いなかろう(東京都台東区西浅草3-17-1)《35.71537918827346, 139.79243773615255》。
ところで(写真-0:23:38)にあるように歩道部分には日除けのための葦簀(よしず)屋根が設置されている。同様なものは銀座の歩道にもあったようだ。本作の結末部に写る日本橋交差点の映像にも日除け屋根が見られる。昭和20年代~30年代の映画でもよく見られた。夏場の暑いときのために是非復活させていただきたいものである。
(写真-0:23:43)は、刑事たちが聞き込みで訪れた時計屋「日本堂時計店」である(東京都中央区銀座5-7-5)《35.670949250243076, 139.76459504580325》。ここはかの有名な「鳩居堂(きゅうきょどう)」の左隣であるが、現在は「TASAKI銀座本店」となっている。(写真-0:23:43)の右側に「にほひ袋」と縦書きで記されているが、これはお隣の「鳩居堂」の宣伝看板であろう。
この「日本堂時計店」は小津安二郎監督の劇映画「東京物語」(1953年、松竹)にも登場する。東京案内の観光バスの車窓風景として写っている。
ホトケ刑事(山田巳之助)の捜査は続く。(写真-0:29:10)の画面奥に見える4本の煙突は恵比寿駅と目黒駅の間にあったヱビスビールの工場で間違いないだろう。左には山手線の電車も写っている。現在この場所は、恵比寿ガーデンプレイスとなっている。よって、(写真-0:29:22)でホトケ刑事(山田巳之助)が渡ろうとしているのは恵比寿南橋(通称アメリカ橋)で間違いないだろう《35.64305531887222, 139.71200561326313》。
(写真-0:29:36)に写っているのはホトケ刑事(山田巳之助)が橋を渡り始めた側(山手線の外側)である。親子連れが右(恵比寿駅方面)へ曲がろうとしているが、渡り切った所は直進はできないように見える。しかし、1940年の地図(「今昔マップ」に文字情報を付加)には直進する道路はないが左斜めに進む道路は存在していることがわかる。画面は橋の左側が見切れているので、斜めに行く道はこの見切れている部分に存在していたのではなかろうか。
現在ではこの恵比寿南橋(アメリカ橋)を渡る道路は直進しての通行ができるようになっている。おそらく恵比寿ガーデンプレイスを整備するときに道路を付け替えたのであろうと思われる。なお現在の恵比寿南橋は、架け替えられたものなので本映画に写っているものとは異なる。
(写真-0:30:35)、捜査を続けるホトケ刑事(山田巳之助)の後ろ、自転車の荷台に乗っている箱には「愛染たわし」と書かれている。「愛染(あいせん)」とは戦後になって創業した束子、箒などの製造会社の商標である。現在も「株式会社アイセン」として営業を続けている。
(写真-0:31:20)はタクシー強盗事件発生の知らせを受ける刑事。犯行現場は「中央区月島2丁目 オノダ工場前」と言っている。1953年版の住宅地図を調べてみたところ「月島」という町名は存在しない。存在するのは「月島西河岸通」のように町名の頭に「月島」が付加されているものとなっている。犯行現場の画面を見ると回りは空き地で右奥に工場の建物が見える。建物側面には「小」の文字だけは画面に写りこんでいる(写真-0:31:43)。分かりにくいが(写真-0:31:48)では、「野」の左ががほんの少しだけ見えている。「オノダ工場」は「小野田工場」ではないかと推測できる。写っている映像の感じから建物に掲げられている社名表示は映画のために設置したものではなさそうに見える。ということは、実在の社名とみてよいだろう。また、画面奥の方にはクレーンや船舶の煙突も見えている(写真-0:32:10)。すぐ近くに岸壁があると思われる。このことにより月島、晴海辺りの埋め立て地ではないかと当時の地図を見ると、晴海の埋め立て地の端に「小野田セメント」が存在していた。もしかしたらここ《35.65740109410073, 139.78800194543183》でロケをしたのかもしれない。
(写真-0:32:32)はタクシー強盗の現場検証の場面である。タクシーメーターは「大阪メーター株式會社」製であることが分かる。ウィキペディアによるとこの会社は2014年に廃業している。
(写真-0:32:35)は強盗被害にあったタクシー。ドアに描かれている「タクシー」の文字をデザイン化したものを覚えていて欲しい。
(写真-0:34:03)、ここは飯田橋駅である。三鷹行き電車が停車している。刑事たちが神楽坂にある「分田中(わけたなか)」を訪ねる直前のシーンである。
(写真-0:34:11)は神楽坂を見上げているカット《35.70050697718969, 139.74252257950636》。聞き込みのため「分田中」を訪ねる刑事たちの後ろ姿が見える。
(写真-0:34:11)に写っている「山田~」、「ニューイトウ」は地図上に確認できる。(写真-0:34:11)には床屋のサインポールらしきものも見える。
左の写真は、Web検索で見つけたものだが、1959年頃の新宿駅東口の写真である。駅名標がある山型屋根や信号機の位置がほとんど同じと言ってよいだろう。(写真-0:36:21)は新宿駅の東口であろう。現在は、ルミネエスト新宿となっている。
左図(0:41:32経過頃)は刑事(関山耕司)がバー「ジャングル」で聞き込みをするシーン。バーテン女性の後ろは鏡張りなのだが、そこに何やら黒い影が右方向へ移動している(女性のすぐ右)。キャメラの後ろをスタッフが通ったのが鏡に映ってしまったのではなかろうか。それとも店の従業員だったのかもしれない。
(写真-0:42:34)、(写真-0:42:39)は月島警察署の正面玄関の場面である。こちらとこちらのWebサイトに掲載されている庁舎玄関の写真と同じとみて間違いないだろう。月島警察署も実在の庁舎で撮影を行ったようだ。1952年当時の庁舎の住所は「中央区月島通4-10(現・月島3-13-5)」《35.6619098140881, 139.78099218218054》。なお、現在の月島警察署の所在地は「中央区晴海3-16-14」である。
(写真-0:43:57)はバー「ジャングル」店内の様子。テーブルには瓶ビールが並んでおり、ラベルが見える。解像度が悪いがどうやら星のマークのようだ。一般的に星のマークはサッポロビールなのだが、1949年~1957年の間は「ニッポンビール」ブランドで展開していたという(ウィキペディア)。よってここで注がれているビールはニッポンビールだと思われる。
(写真-0:45:56)、(写真-0:46:19)、(写真-0:46:22)は犯人、刑事が乗ったタクシ―である。これらのタクシーの前部ドアに描かれているマークは同じで、(写真-0:32:35)の強盗被害にあったタクシーのものとも同じに見える。タクシー強盗にあった車のマークと合わせて拡大したものを提示する。
左上のものは月島でのタクシー強盗被害にあった車のもの、右上は犯人を追う刑事が利用していたタクシーのもの、左下は逃走する犯人が乗ったタクシ―のものである。「タクシー TAXI」の文字部分は共通だがその下部にある円状のマークは異なっている。犯人乗車のものだけは円状のマークはないように見える。この3種からだけでは結論付けることは難しいが、「タクシー TAXI」ロゴ部分はタクシー会社に関わらず共通表示するもので、その下部にタクシー会社独自の社紋を描いていたのかもしれない。
このタクシーのマークは先日鑑賞した劇映画『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』(1952年、新東宝)で洋子(香川京子)と学生(小髙まさる)が乗っていたタクシーのドアに描かれているものともそっくりだった。また、劇映画『学生社長』(1953年、松竹)で山地丈太郎(鶴田浩二)が運転していたタクシーのドアにも同様のマークがあった。自動車には詳しくないがいずれも車種が同じように見えた。ただ、いずれの劇映画でも「タクシー TAXI」ロゴ部分の下部のマークまでは気を付けてみていなかったので、<タクシーのロゴの比較>画像と同じであったか異なっていたかはわからない。
(写真-0:46:21)は逃げる容疑者と追う刑事たちが渡る踏切である(このシーンの直後に犯人が乗ったタクシーがやってくる)。このカットには矢印で示すようにポストのような影と電信柱のような影が存在する。以降30秒ほどこの影は存在し続けるのだがなんとも不自然。右方向からやって来たタクシーがこの影の部分を通過するが、背後を通るタクシーがうっすらと見えるのである。どうやら撮影後の光学処理で付加された影のようだ。では何のためにこんなことをしているのだろうか。以降のシーンを見ると分かってくる。
タクシーがここに来たときにはすでに踏切の遮断機が下りていたので犯人はタクシーから飛び出して遮断機をかい潜って対岸に逃走していく。刑事が追い付いてきたときは犯人の姿が見えなくなってしまっている(写真-0:46:40-1)。ところでここの踏切遮断機は昇開式(水平に張ったワイヤーを上下させる方式)でワイヤーにトラ縞板が付いている。画像を見てもらうと刑事たちはトラ縞板の向こうにに位置している。ということは線路内に立ち入っていることになる。かなり危険な行為と言えよう。
このコマ(写真-0:46:40-1)の直後にカットが繋ぎかわる(写真-0:46:40-2)。そして刑事の目の前を貨物列車が通過していく。つまり〈貨物列車が来ていないときに犯人が逃げて刑事が下りている遮断機の向こうを見る所まで〉と〈貨物列車が通過するのをイライラして待つ刑事〉を別々に撮影する。それらを編集で繋げて一連のシーンを完成させている。
左図は貨物列車が通過するシーンの一部である。見にくいが、画面右のふたつの黒い影の間に人物が現れるのがわかると思う。
このように貨物列車が通過するカットで余計な(邪魔な)人物が写ってしまったのでそれをなるべく見せないようにするために黒い影を合成したのではないだろうかと筆者は想像する。影をひとつにまとめると画面の1/4が真っ黒になってしまうのでやむなくポスト状のものと電信柱状のものに分けたのではなかろうか。
ところで、ここはどこだろうか。筆者には見覚えがあった。代々木駅東口脇の貨物線の厩道踏切《35.683033159020766, 139.70277296071276》だと思われる。画面奥の明るい部分が代々木駅西口方面。ここはほとんど当時と変わっていないようだ。
(写真-0:49:37)は、盗まれた腕時計を買い取った男を留置場から呼び出している場面。部屋を出た男は和室の長押にあたる部分に手を差し出しているが、これはいったい何をやっているのだろうか。疑問が残る。
(写真-0:51:22)は、世田谷区上馬町の強盗事件で盗まれた時計を売ったという吉田為三に話を聞くために刑事が歩いてくるシーン。この景色は五反田であろう。当時の五反田はビルはほとんどなくかなり見通しが良い。画面の右には住宅が並んでいる。現在の姿とは想像もできない。現在の写真は築堤下の道路からの撮影なので見通しは良くない、もっともビルばかりなので築堤上から見ても同じようなものだと思う。
現在では、五反田駅ガード下を境に都心方面は「桜田通り」、神奈川方面は「第二京浜国道」となる道路がある(国道1号線)。しかし撮影当時は、五反田駅から山手通りまでの区間は未完成だった。(写真-0:51:22)にもそれらしい太い通りは写ってはいない。(写真-0:51:22)を見ると「①」、「②」、「③」の建物は斜めに並んでいるように見える。この3軒は古地図に 「①」、「②」、「③」 と示した所だろうと思われる。山手線五反田駅のホームの位置なども合わせて考えると二人の刑事が歩いている地点は、地図上の「● ● 」の位置であろう。ちなみに山手線五反田駅のホームは、1952年当時に比べて現在では目黒方面にかなり延長されている。
(写真-0:52:21)は刑事たちが吉田為三宅の様子を監視している場面。後方に煙をはく煙突が見える。古地図で確認すると刑事たちの後方に「三島湯」という銭湯が存在する。これらのことから、吉田為三宅は古地図上の「木下末男」宅《35.62714443686972, 139.7221606059887》である可能性が大きいように思う。なお「三島湯」は1960年の地図にも存在している。ちなみに(写真-0:51:22)で刑事たちが歩いている右側の三角形の区画は現在の住居表示では「品川区西五反田2丁目5」。古地図上の「木下末男」宅もこの区画に属していることになる。
(写真-0:57:31)は、犯人に呼び出された女給が渋谷駅東横線ホームで待っている場面。当時、東横線ホームは「3面3線の頭端式ホーム」だったようだ⇒参考サイト。記憶に新しい蒲鉾屋根のホームは1964年の東京オリンピックの直前に出来上がったそうだ。
(写真-0:57:58)、東横線渋谷駅にやって来た犯人が刑事に気づいて逃げ出した場面。東横線と山手貨物線は隣接しており、壁(おそらく広告看板)で区切られているだけ。下部の隙間から通り抜けができるようだ。犯人はそのまま山手貨物線、山手線線路を逃走していく。続くカットは渋谷駅南口広場をハチ公口広場方面へ逃走する犯人、追う刑事。ハチ公前の雑踏で逮捕される。現在では電車がひっきりなしに行き来しているのでこんな撮影はできないだろう。昔は規制が緩くて危険を伴う撮影でも普通にできたんだろうなと感心する。
余談だが、当時の山手貨物線は非電化だったのでSL牽引の列車が行き来している。
東横線ホームからの一連のシーンは高いところからの俯瞰で撮影されている。当時、東横線ホームが見下ろせる高いビルは東横百貨店しかないので、屋上もしくは別の階から撮影したのだと思われる。画面ではかなりアップで撮影されているのでそこそこの望遠レンズを使用したのだろうと推測できる。
(写真-0:59:02)、渋谷駅ハチ公口広場を見下ろして逮捕劇を撮影。ハチ公の場所が現在とは異なっている。このシーンも東横百貨店から撮影されたものだろう。
ところで、本作が撮影された頃は都電の渋谷停留場はハチ公口広場にあった。(写真-0:59:02)には都電車両は写っていないが、架線と思われるものは画面の下部に写っている(矢印部分)。(写真-0:22:50)前後のシーンにもハチ公口広場が写るが、こちらにも都電車両は写っていない。1957年に都電の停留場は東口に移動し、「青山方面→金王坂→渋谷停留場→宮益坂→青山方面」のようなループ線となった。
(写真-1:00:14)は、犯人が逮捕された後、犯人の履いていたラバーソール靴を確認する刑事。月島のタクシー強盗の現場に残された足跡と同じである(写真-0:33:06)。
(写真-1:00:44)は桜田門の警視庁庁舎《35.6774434264226, 139.75292763048094》。
(写真-1:01:17)はパトカーが街を走っている場面。1系統、19系統の都電とすれ違うので中央通りを走っていることがわかる。正面に見えている3つのアーチ状の切れ込み、歩道上にある庇などから日本橋交差点の白木屋(しろきや、現・コレド日本橋)《35.682648447330315, 139.77411437053289》であることがわかる。歩道上の庇は次の(写真-1:01:46)でも確認できる。
(写真-1:01:46)はラストシーンでキャメラが右へパンしていく途中に写る建物。屋上の社紋から白木屋であることがわかる。画面左の路面電車が走る通りは中央通りで画面奥が日本橋になる。このカットは日本橋高島屋の屋上から撮影したのではなかろうかと想像する。
Web検索で見つけた白木屋の広告。社紋は手斧を斜めに交差させたものを図案化しているという。この紋は広重の浮世絵「名所江戸百景 日本橋通一丁目略図」にも描かれている。
現在では、髙島屋本館と永代通りの間には、高層ビルが建っており白木屋跡地(コレド日本橋)の全体を見ることはできない。かろうじて髙島屋新館の7Fテラスからガラス越しに少しだけ臨むことができた。ガラス越しなので反射映像が写りこんでいることはご容赦いただきたい。
謝辞
「はじめに」部分でも述べたが、本調査は下村健氏の協力があってはじめて実現しできたものである。氏には最大級の感謝の意を捧げます。
参考資料
下記の書籍やWebサイトを参考にさせていただいた。作者の方々には心より御礼いたします。ありがとうございました。
- 本作シナリオ
- ウィキペディア
- 今昔マップ
- 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
- 便利.com カレンダー
- 新東宝データベース 1947-1962
- 東京「あの場所は?」秘宝館 「日本一の男の中の男」とキャバレー「ショー・ボート」
- 「浪漫紀行 昭和の懐かしいメロディを、当時のオーディオ機器で鑑賞します」
- 古絵葉書・世田谷警察署新築落成記念
- ハチ公前のくすり屋さん 三千里薬品・藤山雅朗さん
- 株式会社アイセン
- 月島警察署の沿革
- 「月島警察署五十年の歩み」より抜粋
- Twitter なびすこ(@hiyajisu)
- Twitter BON(@1632bdkrst)
- 『渋谷上空のロープウェイ』 夫馬信一(ふましんいち)著 柏書房 2020/4/10発行
- 『鉄道今昔 よみがえる玉電 車両・停留場・街角の記憶』 井口悦男・三瓶嶺良著 学研プラス 2011/10/25発行
- 『玉電が走った街今昔 世田谷の路面電車と街並み変遷一世紀』 林順信著 JTB 1999/9/1発行
- 『大勝庵 玉電と郷土の歴史館写真集』 大塚勝利著 有限会社ルミエール 平成28年1月発行
- 東京都全住宅案内図帳 世田谷区東部 1962年
- 全住宅案内地図帳 渋谷区西部 1957年
- 豊島区住宅地図火災保険特殊地図 1952年~1953年
- 全住宅案内地図帳 台東区 1966年
- 東京都商工区分地図 中央区 1953年
- 東京都全住宅案内図帳 新宿区東部 1957年
- 火災保険特殊地図(戦後分) 品川区 1951年
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- 2021/12/3:初版公開