『名探偵ヒロシ君』を考える 〈本館〉

作品タイトル

35分、1949年、日本、東宝教育映画、35mm、白黒、スタンダード、モノラル

はじめに

本作は東宝教育映画製作、関川秀雄監督による児童向けの劇映画である。特筆すべきは終戦後数年経った頃の渋谷駅周辺でロケーションを行っているということだ。首都高速道路3号線はもちろん、その下を通る玉川通りすらできていない。同様に明治通り、六本木通りもできていない。半世紀以上前の様子がしっかりと記録されている貴重な作品となっている。ちなみに音楽担当は伊福部昭。いつもの独特のメロディが本作でも体験できるのは嬉しい。「渋谷」&「伊福部昭」好きの方は必見の作品と言えるだろう。

筆者は、国立映画アーカイブの特集上映<2022年の「東宝の90年 モダンと革新の映画史(2)」>で鑑賞した。幸いにも本作はDVDが販売されているので未見の方は入手してご覧いただければと思う。通常の劇映画ではないので映画館で上映されることはほとんどないと思われる。

では、本編の流れに沿って撮影場所を紐解いていこう。例によってロケ地探しとは関係ないことを取り上げる場合もあるかもしれないが、ご容赦願いたい。


写真下に記載した「h:mm:ss」は本編開始時からの経過時間である。おおよその経過時間と考えていただきたい。映画本編のキャプチャ画像は時系列順に並べて、説明をしていく。

文中に《数字,数字》 の箇所があるが、これはグーグルマップで認識する緯度経度である。リンクを貼っているので現在の地図を参照することができる。また、この緯度経度を使用してグーグルマップで検索するとその場所が表示される。

画像にカーソルを重ねたとき「指」の形状に変化する画像は、クリックすると拡大表示されます。


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終戦後間もないからではなく、当時はまだ校内放送を使用してのチャイムは存在していなかったのだろう。校内放送設備がなかったのかもしれない。実物のチャイム(鐘)で時間を知らせている。

0:02:09
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0:18:26
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主人公たちが通う小学校の校舎内の様子は劇中何度も写る。学年や組が書かれている表札、英語表記でも書かれている。当時は進駐軍がいたため、小学生でも英語になじみがあったのだろうか。校舎の壁などは木目が新しいことがわかる。戦争中の空襲で校舎は破壊あるいは消失してしまったため、戦後になってから建てられたものだからであろう。机や椅子は新品には見えないが、中古品であろうか。

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渋谷・宮益坂付近(1947年)
渋谷・宮益坂付近(1947年)

(写真-0:04:39)、(写真-0:04:56)は下校する子供たちのシーン。子供たちは坂を上っていることがわかる。(写真-0:04:56)の後方に見えているのはおそらく東横百貨店。彼らが歩いている地形(高低差)や東横百貨店の見え方などから推測すると、この場所は現在の「渋谷区渋谷1丁目」の「美竹通り」辺りだと思われる(1947年の地図内の青い楕円部分、現在の美竹通りも描き加えてみた)。撮影当時は「美竹通り」は存在していない。当時と現在とでは区画が変化しているので彼らが歩く坂道の特定はかなり難しい。

0:06:05
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0:06:12
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(写真-0:06:05)、(写真-0:06:12)は主人公の兄弟が自宅に帰り着く直前のカットである。(写真-0:06:05)の左奥の建物は東横百貨店、そこから続く高架を走っているのは3両編成の銀座線電車。すこぶる見晴らしがよいことに驚かされる。(写真-0:06:12)の右奥に東横百貨店、左方の画面外に兄弟の自宅がある。

さて兄弟の自宅はどの辺りであろうか。撮影当時は六本木通りは存在せず、明治通りは拡幅前なので現在の区画とはかなりの違いがある。1947年の地図を見てみよう。なぜか銀座線が省略されているので描き加えてみた。本編映像にて周りの景色の見え具合を考慮すると青色の範囲辺りに兄弟の自宅があったと思われる。現在の六本木通りと宮益坂上から下ってきた青山通りとが合流する付近になるようだ。

兄弟の自宅付近(1947年)
兄弟の自宅付近(1947年)
0:19:20
0:19:20

(写真-0:19:20)は探偵ヒロシ君(髙崎直典)が捜査のためガード下を潜ろうとしているシーンである。停車中の電車を観察してみよう。

  • 前照灯は車体の上に載っている
  • 先頭車のヘッドマーク分部は貫通扉のよう
  • 車体側面(手前から1番目扉と2番目扉の間)に何やら文字が書かれているよう

鉄道車両に関して詳しくはないのでネット検索で当時使用されていた車両に関して調べてみた。前照灯の飛び出し具合などから東急3450形電車に似ているような気がするが…。また、車体側面に表示されている文字は鉄道会社のアルファベット三文字略称ではなかろうか。東急なので「T.K.K.」と書かれているのかもしれない。ただし、車両側面への3文字略称表示が映画撮影当時から行われていたのかどうかは不明である。どなたか詳しい方がおられたらご教授願いたい。

これらの電車に関しての特徴の他、電車の後方に写っている建物の屋上部分で向かって右角と真ん中あたりに突起部分があることがわかる。これは東横百貨店の形状によく似ている。

これらのことから、探偵ヒロシ君(髙崎直典)は渋谷川の「ほりのうち橋」(正しい漢字表記は不明なのでひらがなで表記)方面へ向かっているものと思われる。現在はこの「ほりのうち橋」の場所には渋谷スクランブルスクエアが建っているので当時の面影は微塵も感じられない《35.658316913924374, 139.7024195476367》

東横線渋谷駅ガード(1955年)
東横線渋谷駅ガード(1955年)
0:20:18
0:20:18
渋谷スクランブルスクエア前(2023年6月撮影)
渋谷スクランブルスクエア前(2023年6月撮影)

(写真-0:20:18)は捜査中の探偵ヒロシ君(髙崎直典)である。後方の建物は東横百貨店、建物内に入ろうとしているのは銀座線電車である。都電34系統(渋谷~金杉橋)の電車が停車している。ここはすぐにお分かりだろう、渋谷駅の宮益坂方面広場である《35.65877986070336, 139.70214105228527》

0:20:38
0:20:38
代々木街道ガード(2023年3月撮影)
代々木街道ガード(2023年3月撮影)

(写真-0:20:38)は捜査中のヒロシ君(髙崎直典)が浮浪児たちが立ち寄った今川焼屋を訪ねる直前のカットである。このシーンを観察してみると

  • 鉄道か道路のガード下
  • 道の奥の方は左へカーブしている
  • 画面奥の左端には×型の標識が立っている

これら三つの特徴が見いだせる。×型の標識はおそらく黄色と黒色の「踏切警標」だと思われる。ということはガードを越えたところには踏切があり、道が左へカーブしている。何となく見覚えがある地形、ここは山手線代々木駅脇の「代々木街道ガード」と「厩道踏切」ではなかろうか。

0:20:53
0:20:53
0:21:03
0:21:03
代々木駅前(2023年3月撮影)
代々木駅前(2023年3月撮影)
代々木街道ガード(1957年)
代々木街道ガード(1957年)

(写真-0:21:03)は浮浪児たちが今川焼を買った後の帰りにヒロシ君(髙崎直典)とすれ違うシーン。後方右側の店舗の暖簾に「靜乃家」と書かれている。軒行灯にも屋号が書かれているのが確認できる。1957年の住宅地図を見ると文字表記は異なるものの「静の家」が存在している。

この一点のみの裏付けしか確認できなかったが、(写真-0:20:53)の今川焼屋は代々木駅前とみて間違いなかろう《35.68294641110922, 139.70225337905458》。この今川焼屋は、2023年3月撮影の写真の油そば屋と山水楼の辺りにあったのではと思われる。

ところでこの今川焼屋は(写真-0:20:53)の映像から見ると角から2軒目に位置しているようだ。この今川焼屋のお品書きを見ると飲み物なども取り揃えているので茶店的な存在でもあったと思われる。1957年の住宅地図で同じ場所を見ると「喫茶いこい」(「こ」の字は崩し字のようだ)が存在する。この今川焼屋のことなのかもしれない。

0:23:27
0:23:27
井の頭線西口改札前の通り(2023年7月撮影)
井の頭線西口改札前の通り(2023年7月撮影)
古本屋前-1(1949年)
古本屋前-1(1949年)

(写真-0:23:21)は弟の二郎(小宮山清)を連れたヒロシ君(髙崎直典)が本を抱えて古本屋「明世堂書店」へ入ろうとするシーンである。画面左奥には玉電車両が写っている。1949年の地図では古本屋の屋号は「野口古本」と映画とは異なるものになっている。また、その左隣の古着屋の屋号も映画では「正實堂」、1949年の地図では「正美堂」となっている。「實(実)」と「美」を間違えたのかもしれない。火災保険特殊地図や住宅地図ではたまに実際の名称と異なる記載があったりするのでこの古着屋の屋号に関しては地図作成時の記入ミスである可能性が大きいと思う。古本屋の屋号に関しては、「映画のために看板を書き換えた」または「地図作成と映画撮影との期間に屋号が変更された」のどちらかであろう。

0:23:33
古本屋前-2(1949年)
古本屋前-2(1949年)

(写真-0:23:33)は(写真-0:23:21)の切り返しショット(道玄坂方面を見ている)。二郎(小宮山清)の左後方に「●來軒」の看板が見える。1949年の地図で確認すると「来来軒」とあるので(写真-0:23:33)も「來來軒」とみて間違いなかろう。「來來軒」の左隣は地図では朝日信託銀行である。(写真-0:23:33)の映像の軒先の文字も「~銀行」と書かれているように見える。

以上のことにより、「明世堂書店」は現在の井の頭線西口改札前の道を道玄坂方面へ行ったところの呉服店「佐野正」の場所《35.65886618089544, 139.69830261703913》と結論付けられる。

余談だが、地図「古本屋前-1(1949年)」内の「岩城メガネ(現・イワキ)」と「長岩医院」は2023年の現在でも全く同じ場所で営業している。

0:27:18
0:27:18
銀座線車庫下1
銀座線車庫の下付近(2023年9月撮影)
銀座線車庫付近1(1955年)
銀座線車庫付近1(1955年)
0:27:30
0:27:30
銀座線車庫下2_edit
銀座線車庫の下付近(2023年9月撮影)
銀座線車庫付近2(1955年)
銀座線車庫付近2(1955年)

(写真-0:27:30)はヒロシ君(髙崎直典)と二郎(小宮山清)がとぼとぼと歩いているシーン。ここは銀座線の車庫脇の坂道。現在ではこの車庫を包み込むようにして渋谷マークシティが建てられたので、当時の面影は全くない。ただ、急な坂道だけは健在。

0:27:41
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渋谷中央街ウェーヴ通り(2024年9月撮影)
渋谷中央街ウェーヴ通り(2024年9月撮影)

(写真-0:27:41)は(写真-0:27:30)からの切り返しのショット。後方には銀座線の渋谷駅へ通じる出入口が写っている。駅のある玉電ビルは増築されて東横百貨店新館となるのだが、まだ工事も始まっていない。現在はその東横百貨店新館(現・東急百貨店)も再開発のために取り壊されてしまっている。

0:29:39
0:29:39
渋谷松竹付近(1947年)

(写真-0:29:39)はボランティアで浮浪児の面倒を見ている兄妹(沼崎勲・岸旗江)と浮浪児たちが話し合っているシーン。右端にいるのがヒロシ君(髙崎直典)と大石先生(河野秋武)、一番左端には二郎(小宮山清)。画面右奥に見えている建物は東横百貨店。その左に見えている柱状建造物は渋谷松竹(映画館)の正面にある塔を裏側から見ている。ちなみに渋谷松竹を正面から写した写真はコチラのサイトの中ほどに掲載されている。彼らがいる場所はどの辺りだろうか、画面を見ると家々の屋根を下に見ているので少し高台になっているようだ。詳しい場所の特定は難しいが、現在のスペイン坂を登り切ったところ、渋谷パルコの裏辺りではなかろうか。

0:31:16
0:31:16
玉川通り付近(1947年)
玉川通り付近(1947年)

(写真-0:31:16)はボランティア兄妹(沼崎勲・岸旗江)と浮浪児たちが立ち去っていくシーン。建物がなく更地の状態で斜面になっている(→道路建設用地ではないか)。また、よく見ると人物の影は左手前の方に伸びている。見送る側のカット(写真-0:31:47)では渋谷駅方面が写りこんでいる。

  • 建物がなく更地の状態で斜面になっている(→道路建設用地ではなかろうか)
  • 人物の影は左手前の方に伸びている
  • 見送る側のカット(写真-0:31:47)では渋谷駅方面が写りこんでいる
  • 土地の高低差

これらの情報からここは現在の玉川通り(国道246号線)上にあたるのではと思われる(地図の青色楕円辺り)。上り坂なので二子玉川方面を(渋谷駅方面を背にして)撮影しているようだ。

0:31:47
0:31:47

(写真-0:31:16)はボランティア兄妹(沼崎勲・岸旗江)と浮浪児たちを見送る大石先生(河野秋武)とヒロシ君(髙崎直典)。後方には東横百貨店と玉電ビルが見える。ヒロシ君(髙崎直典)の右腕の後方の部分は銀座線の出入口にあたる。玉電ビルを増築して東横百貨店新館(後の東急百貨店西館)が建っていた場所。2023年10月現在では建て替えのため取り壊されているが、銀座線の出入口にあたる部分(四角い短い柱が並んでいる)は2023年10月現在でも確認できる。

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【参考資料】

下記の書籍やWebサイトを参考にさせていただいた。作者の方々には心より御礼いたします。ありがとうございました。

【編集履歴】

  • 2026/07/11:初版公開
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