80分、1952年公開、製作:電通.DF.プロダクション、配給:新東宝、白黒、スタンダード、モノラル
はじめに
本作は、同年に公開された『犯罪ドキューメタリー 青い指紋』と同様に警察による犯罪捜査をドキュメンタリータッチで描いている作品である。今回は現場の遺留品(毛髪、糸くず等)から得られる指紋、血液型などの情報を科学捜査で明らかにしていく部分に力を入れているように思う。
本作について書かれた資料によると撮影はオールロケーションで行われたという。1952年当時の街の様子がそのまま写っているので当時の様子を知ることができる貴重な資料ともいえる。
いつものように、ロケ地を中心に明らかにしていこうと思う。画面に写っているものに言及したりもするかもしれない。気楽にお付き合いいただければ幸いである。
本作品の出演者を紹介しているページはコチラ
『殺人容疑者』を考える〈役者編〉
写真下に記載した「h:mm:ss」は本編開始時からの経過時間である。おおよその経過時間と考えていただきたい。映画本編のキャプチャ画像は時系列順に並べて、説明をしていく。
文中に《数字,数字》 の箇所があるが、これはグーグルマップで認識する緯度経度である。リンクを貼っているので現在の地図を参照することができる。また、この緯度経度を使用してグーグルマップで検索するとその場所が表示される。
画像にカーソルを重ねたとき「指」の形状に変化する画像は、クリックすると拡大表示されます。
(写真-0:02:03)は冒頭の殺人現場である。旧作映画を見慣れている方ならすぐにお分かりだと思うが、ここは渋谷駅近くの旧大和田町の高台である《35.657649322751205, 139.69738758653898》。1949年の地図と現在の地図を比べるとわかるが、区画整理のため道路の位置は多少ずれている。2022年6月撮影の写真は実際の殺人現場の道路ではないことをご理解いただきたい。当時は現在の渋谷からは想像ができないような長閑な町だったことが分かる。高い建物はほとんどなく、空がとても広くて見晴らしが良い。左に見えているのは銀座線車庫で3両編成の電車が停車している。当時の銀座線は3両で運行していたようだ。線路は玉電ビルの3階の乗降ホームを通って表参道方面へ進んでいく。渋谷駅付近が谷底にあることがよくわかるシーンである。
画面奥に見えるビルは東横百貨店。その手前に見える四角い部分が増築される前の玉電ビルである。1952年当時は東横百貨店屋上と玉電ビル屋上の間に空中ケーブルカー「ひばり号」が運行されていた。「ひばり号」については拙作 『犯罪ドキューメタリー 青い指紋』を考える〈本館〉 の中で簡単に触れているのでご覧いただければ幸いである。
画像の人の影の長さから考えると正午近くに撮影していることが分かる。この時間帯なら「ひばり号」も運行していたはずである。(写真-0:02:03)のカットは数秒間続くので動画で確認すると「ひばり号」らしきものが微速ではあるが移動しているように見える。
(写真-0:03:37)は、警察署の玄関のようだ。本作DVDソフトに同梱のブックレットに愛宕警察署でロケを行ったという記述があるので、ここは愛宕警察署であろう《35.660694863591196, 139.75275922541644》。『警視庁物語 深夜便130列車』(1960年、東映)においても愛宕警察署が写っているので、参考として画像を貼り付けておく。同じアングルのものはないのでご容赦。
蛇足だが、(写真-0:03:37)に写っている都電の系統番号は「33」。愛宕警察署は「御成門」停留所と「浜松町一丁目」停留所の間に位置している。
(写真-0:03:48)は捜査会議中の刑事たち。この部屋も愛宕警察署内だと思われる。当時は和室で会議をすることがあったようだ。この部屋の隅の方に(写真-0:12:13)の扇風機が置いてある。
(写真-0:12:13)は捜査会議を行っている畳敷きの部屋に設置されている扇風機である。真ん中のマークはぱっと見「獄」に見えたがそうではなかった。Web検索で見つけたレトロ扇風機の写真だが、これは「SEW」と読める。(写真-0:12:13)の扇風機もこのマークと同じものとみて間違いないようだ。
さらに調べると「SEW」は「Shibaura Engineering Works(芝浦製作所)」の略だと判明。現在の東芝の前身「芝浦製作所」の扇風機であることが分かった。型式の特定も行いたかったが、(写真-0:12:13)の扇風機の前面カバーの模様と一致するものは見つけられなかった。
木村商事の場所を特定するため、下記に何枚かのキャプチャ画像を表示する。
(写真-0:19:08)は刑事が木村商事の事務所を訪ねていくシーン。「クララ美容室」の看板、画面奥には薬局がある。看板には「かぜ~」(風邪薬の宣伝だろう)と書かれている。木村商事の事務所内のシーンで、窓からこの看板が見えている。
(写真-0:19:15)は二人の刑事がビルの入口に立っているシーン。後方に「吉川医院」が見える。
(写真-0:22:24)は木村商事が入居したビルの斜向かいにある喫茶店らしきお店。看板は半分ほど樹木に遮られているが「~ちゅーど」と読める。
(写真-0:42:19)は別角度から見た木村商事が入居したビル。「パチンコ銀一」の看板。
(写真-0:42:49)は木村商事が入居したビルの入口。「日本硝織株式会社」の表札。
上記の情報より木村商事が入居しているビルを特定することができた。当時の住所では「中央区銀座西1丁目」(現・銀座1丁目)の「光明ビル」である《35.67475272787549, 139.76661083940937》。
(写真-0:24:41)は刑事が聞き込みのため時計店へ向かうカット、(写真-0:24:41)は時計店正面のカット。(写真-0:24:41)の画面奥に「松坂屋」の社紋が見えるので銀座か上野かだと思われる。その手前には見にくいが「■戸銀行」の看板(「■」部分は葦簀に隠れて見えない)。時計店の店名は「日新堂」。当時の地図を確認すると銀座7丁目であることが判明《35.669145214193996, 139.7630246379799》。「■戸銀行」は「神戸銀行」のようだ。
夏になると銀座などでは歩道の上に葦簀を張ってくれていた。真夏の直射日光から歩行者を守ってくれている。風鈴を吊り下げ、打ち水をして、朝顔の鉢を置いてくれれば涼しい気分になれると思うのだが…。何故今の時代はこのようなサービスをしてくれないのだろう。
(写真-0:24:59)、「Nippon Gakk」の表示が見える。これは、1951年竣工の日本楽器銀座ビル(現・銀座7-9-14)《35.6686647792731, 139.76262058921813》だと思われる。このビルは「松坂屋銀座店付近(1953年)」地図にて時計店「日新堂」の銀座8丁目寄りにある。こちらのサイトに当時の写真が掲載されている。ビル正面の「Nippon Gakki」の字体は(写真-0:24:59)のものと同じとみて間違いなかろう。(写真-0:24:59)では最後の一文字「i」が写っていないが、ネオン管が故障していたのだろうか。
(写真-0:25:12)は刑事が聞き込みをしているシーン。後方のビルに東横百貨店の社紋が見える。渋谷店を宮益坂方向から写したのかと思ったがそうではないことに気づく。キャプチャ画面の建物には縦長の窓が並んでいるのだが、渋谷店の建物の窓はこれとは異なるので別の店舗だと分かる。なんとなくこの窓に見覚えがあると思ったら『犯罪ドキューメタリー映画 青い指紋』で調べた池袋店の窓にそっくりであることに気づく。どうやら池袋駅西口のマーケット街辺りから写しているようである。
(写真-0:25:25)は、刑事が聞き込みをするシーン。後方に見えるのは銀座線車両であろう。右側の小さな看板にはかろうじて「ロシア料理」と読める。1949年の地図には明確に記載がないが、1955年の地図では「ロゴスキー」と記載されている。
「ロゴスキー」の公式Webサイトを見ると「1951年3月に渋谷駅前に開業」とある。また、当時のメニューに記載の住所は「渋谷区大和田町28番地 駅前マーケット奥大和田食堂面」と書かれている。まさに1955年の地図にある場所で「ロゴスキー」は開業したのだ。1951年開業なので1949年の地図に載っていないのは当たり前だった。本映画は1952年8月21日公開なので撮影も1952年になってからと思われるので「ロシア料理」の看板(おそらく「ロゴスキー」のものであろう)があってもおかしくはない。雨が降っているようなので梅雨時期だったのかもしれない。
「ロゴスキー」公式サイト
http://www.rogovski.co.jp/omise0.htm
→このページにメニューの写真が掲載されています
http://www.rogovski.co.jp/omise1.htm
銀座線車両の見え方(角度)、「ロゴスキー」の位置などから(写真-0:25:25)のカットは地図上の路地から撮影したと断定して問題なかろう。現在は区画整理されており、この路地は存在しないが、現在のキングビル(渋谷区道玄坂1-5-7)の辺りだと思われる。
(写真-0:25:53)、(写真-0:26:18)、(写真-0:26:23)、(写真-0:26:25)は刑事(石島房太郎)が聞き込みに歩くシーン。どこかの跨線橋らしきところを歩いて階段を降りていく。場所特定のヒントは(写真-0:26:25)にあった。商店の入口の看板に書かれた文字はかろうじて「東十条」と読める。右手には「王子不動産」、左手には「クスリ人生堂」と「樋口歯科醫院」の看板。1962年の住宅地図で確認してみると(写真-0:26:25)と同じ場所に「王子不動産」が存在している。他にも「千成寿し」も確認できた。電信柱の看板にある「クスリ人生堂」と「樋口歯科醫院」も1962年の住宅地図で見つけることができた。現在は「クスリ人生堂」は別のお店に、「樋口歯科醫院」の場所は樋口ビルになっているが歯科医院ではない。「王子不動産」があった場所は現在はケータイショップになっている。東十条駅北口跨線人道橋はココ《35.76530666078507, 139.7267441091677》。
余談だが、ここ東十条駅は以前は「下十條駅」と称していた。現在の「東十条駅」となったのは1952年4月1日。改称は本映画の撮影直前頃と思われる。現在の跨線人道橋は上下左右が囲まれたトンネル状の通路になっている。風雨の影響を受けなくて通行しやすくなっているが、窓の位置が高いので歩きながら周りの景色を楽しむことはほぼできない。また、電車車庫の建物はなくなり、新幹線高架ができていて当時とはかなり様変わりしている。
(写真-0:26:48)は愛宕警察署玄関前を歩く刑事(石島房太郎)のカットである。出入口上部に掲げられているアルファベット文字の表札には「SHI■■ POLICE STATION」と書かれているようだ。固有名部分ははっきり読み取れないが、「SHI」で始まっているように見える。「芝」の事だろうか。この場所のロケ地は愛宕警察署なのだが、物語上は異なる名称なのかもしれない。それが「芝ナントカ」なのだろうか。
(写真-0:27:37)(写真-0:28:09)、刑事たち(石島房太郎、土屋嘉男)が聞き込みにやって来たのは「キャバレー グランドパレス」。出入口扉や楽団の上部に「海浜と人魚 グランドパレス」と書かれている。当時の地図によると場所はこの辺り《35.668905066420635, 139.76045592767255》。(写真-0:27:37)で踊っているのがジプシー・ローズのようだ。
(写真-0:30:26)は容疑者を見かけたというパチンコ店「太陽」《35.67090979824874, 139.76133017318105》。右隣は「大日商事」。余談だが、当時の地図を見てると気づいたが、銀座にはやたらとパチンコ屋が多い。パチンコ好きが多かったんだろうか。当然パチンコ台は、立ったままで手込め手打ち。
(写真0:32:51)、逃走する容疑者(纓片達雄)が右へ曲がった角には「キッチン・ボストン」がある《35.67034471780828, 139.75975347891068》。画面左には外濠川、東海道本線の高架が見える。画面奥に山下橋がある。画面中央には大八車を曳いている人がいる。
(写真-0:33:01)、逃走する容疑者(纓片達雄)は外濠川に架かる山下橋《35.67204787646713, 139.76050153004823》を帝国ホテル方面へ渡って行く。2022年7月現在の写真は地上から撮影したもの。
山下橋のカットからすぐに(写真-0:33:02)のカットになる。ここは有楽町駅下の「第2有楽橋架道橋」《35.67447210836437, 139.76219584460912》から日劇方面を見ている。奥には日劇の裏側が写っている。
(写真-0:33:14)、容疑者(纓片達雄)は有楽町駅前の横断歩道を駆け抜けていく。画面右側の黒い自動車はタクシーだと思われる。(写真-0:52:49)のようなタクシー・ロゴマークらしきものが見える。
(写真-0:33:17)、老刑事(石島房太郎)は足がもつれてこけてしまう《35.674929660936456, 139.76253251485772》。その手前を走る黒ずくめの人は、本作とは関係ない一般人のようだ。この人、続くカットには登場しない。
(写真-0:33:27)は有楽町のオリオン座、スバル座前の通りを逃げる容疑者(纓片達雄)。直後のカット(写真-0:33:28)は、それを追う野次馬(黒っぽい服装)の背中のショット。このショットはハンディ・キャメラで撮影しているようなので前後のシーンを確認してみるとキャメラマンらしき人物が写りこんでいるのを発見。
キャメラマンは帽子を被り、白いシャツを着ている。両手でキャメラを構えている。是非、動画でご確認いただきたい。
(写真-0:33:39)
キャメラのゼンマイを巻きながら駆け付けるキャメラマン。
(写真-0:33:46)
立ち止まってファインダーを覗きながら撮影している。
(写真-0:33:21)頃から(写真-0:34:17)のおよそ1分のシーンは、マルチキャメラによる一発撮りのようだ。キャメラは、毎日会館(現・新有楽町ビル)の有楽町駅前交差点辺りの2or3階に1台、スバル座前に停車しているバス近くに1台、ハンディ・キャメラ1台、の計3台で同時撮影していると思われる。
ところで(写真-0:33:50)の左上部分、停車中の電車の脇にいるのは人のように見える。何かに掴まりながら地上での騒ぎを見物しているようだ。この人は駅員かもしれないが、何故線路脇にいるんだろう。謎である。
(写真-0:33:56)、(写真-0:34:11)は容疑者(纓片達雄)を確保後、警察署へ連行する場面である。画面右側に不自然な黒マスクが存在する。(写真-0:33:56)では狭いが、だんだんと広がっていき最後には(写真-0:34:11)のようになる。これは何故だろう。続くカット(写真-0:34:15)を見ると分かると思う。(写真-0:34:11)の黒マスク部分に(写真-0:34:15)を撮影しているキャメラマンが写りこんでたに違いない。そのキャメラマンを見せたくないのでマスクしたのだろうと思われる。
ちなみにこの日の上映作品は、スバル座では『硫黄島の砂』(1949年、アメリカ、1952/6/19公開)、隣のオリオン座は不明。次週上映の予告看板には『振袖狂女』(1952年、大映)とあるが、どちらの劇場で上映するのかは不明。
(写真-0:46:16)、(写真-0:46:20)、(写真-0:46:26)は逃亡する容疑者(丹波哲郎)を尾行する刑事(澤晃二)のシーンである。画面奥に写っている橋は何橋だろうか。下記の4項目が場所特定のヒントになりそうだ。
- 橋の親柱は、本体が四角柱で上部が四角錐
- 橋の下部がアーチ状
- (写真-0:46:20)で東京駅丸の内駅舎に似た建物が見える
- (写真-0:46:26)の左のビルの形状
1952年当時は三十間堀川だけは埋め立てられているが外濠、汐留川、京橋川などはまだ残っている。(写真-0:46:16)、(写真-0:46:26)の橋の親柱は比較的立派なようなのでそれなりに名の通った橋であろうと思われる。こちらのWebサイトにテアトル東京を背景に京橋が写っている写真が掲載されている。このWebサイトの写真は(写真-0:46:16)とは反対方向から撮影しているのだが、親柱、欄干、下部のアーチの形状などは(写真-0:46:16)のそれと似ているように思える。京橋跡では、当時の親柱を間近に見ることができる。
さて、東京駅丸の内駅舎に似た建物は何だろうか。白黒映像なので確実ではないが、煉瓦作りの建築のような気がする。当時の古い写真を調べ、銀座近辺で堀割近くの煉瓦作りの建物を探してみた。それらしい建物が見つかった。京橋交差点にある「第一相互館」である。「第一相互館」の設計者は辰野金吾。東京駅丸の内駅舎は辰野金吾の設計によるものなので同じ人物が設計したので外観が似たのだろう。
(写真-0:46:26)の左のビルは、『東京復興写真集 1945〜46 文化社がみた焼跡からの再起』(勉誠出版)の9ページに掲載されている<パラマウントギフトショップ>と書かれたビルと酷似している。この9ページの写真は「第一相互館」屋上から銀座四丁目方面を撮影したもので(写真-0:46:26)のビルと<パラマウントギフトショップ>のビルは同一箇所に建っているようだ。
これらの事より、この一連のシーンは「京橋」の隣の橋「炭谷橋」を歩く様子を撮影したものとみて間違いないだろう。
Webサイト「戦前土木絵葉書ライブラリ」に掲載されたいる「炭谷橋」の絵葉書(No.270とNo.271)も参考にしたことを付け加えておく。
(写真-0:46:32)は容疑者(丹波哲郎)が東京中央郵便局脇を歩いている場面《35.680125309302106, 139.76425449101552》。右側奥には三菱一号館が見える。
(写真-0:46:50)は容疑者を尾行している刑事(澤晃二)の後ろ姿《35.68029006129911, 139.764521215054》。右側の建物は東京中央郵便局、奥に見えるのが東京駅丸の内駅舎(南側)である。
(写真-0:51:14)は共犯者2人が逃走しようとする場面である。この場所は現在の渋谷中央街ウェーヴ通り入口だと思われる。看板にある「旅館楠本」は大和田小路の飲み屋街の中にある旅館。
(写真-0:51:22)は、共犯者2人が(写真-0:51:14)の路地を出て左に曲がった場所。画面左上に半分だけ見える社紋は「東横百貨店」のもの。この場所に食料品売り場があった。渋谷マークシティの建設工事が始まる前まで、ここには「東横のれん街」の食料品売場が存在していた。
(写真-0:51:22)に続くカットが(写真-0:51:34)。画面左には「渋谷食堂」《35.659924371349376, 139.70060208020377》。画面右のビル屋上に「安田」の文字が見える。これは安田火災海上の事と思われる、1949年の地図で確認できる。のお話では共犯者2人が大和田小路からハチ公前交差点を通って原宿方面へ移動しているのだが、ロケ地でみると(写真-0:51:34)は原宿方面からハチ公前交差点へ向かっているので反対向きに移動していることになる。
(写真-0:51:50)は、共犯者2人が逃走用の自動車を盗もうと辺りをうかがっているシーン《35.66029705339627, 139.70091055389756》。右手後方「硫黄」と見える看板が出ている建物は渋谷松竹劇場(現在の西武百貨店A館)。この時の上映作品は『硫黄島の砂』(1949年、アメリカ、1952/6/19公開)ではなかろうか。ちなみに有楽町のスバル座で上映していた映画も『硫黄島の砂』、(写真-0:33:27)。その左隣も映画館キャピタル座(後に渋谷日活となる)。
(写真-0:52:03)は、共犯者2人が目を付けたタクシ―が駐車しているシーン《35.66075692167364, 139.70088914218644》。画面左のビルの屋上に「大正海上火災」の看板が見える、1949年の地図で確認できる。
(写真-0:51:45)は、タクシーの運ちゃんが屋台の中華そばor日本そばを食べているシーン。ここは公園通り側から宮下公園側へ通り抜けられる「山手線中渋谷ガード」前である。この場所もいろいろな作品でロケ地となっている。
(写真-0:52:13)はタクシーの運ちゃんが車から振り落とされ、共犯者2人が奪ったタクシ―が井ノ頭通りを走り去っていくシーン。
(写真-0:52:49)は共犯者2人が奪ったタクシ―で逃走しているシーン。前部ドアに描かれている「タクシー TAXI」のロゴマークは、『犯罪ドキューメタリー映画 青い指紋』のタクシーにも描かれていたものと同じだ。1950年代初頭に製作された何本かの日本映画にもこれと同様のロゴマークを見ることができる。
(写真-0:53:25)に写っているアーチ看板には読み難いが「神田すずらん通り」と書かれている。そう、ここは神保町のすずらん通りの出入口であろう《35.69545969822302, 139.76114741064092》。(写真-0:53:27)を見ていただくと分かると思うが、都電の軌道が左へカーブしているようだ。また、「ライオン潤製歯磨」の広告のあるビルの一階は食料品店らしく、1951年の地図にも食料品店と記載されている。このことにより「神田すずらん通り」の小川町方面の出入口だと考えられる。
(写真-0:54:08)のパトカーは飛び出す方向指示器(矢羽式方向指示器)を採用。この矢羽式方向指示器は「アポロ式」とも呼ばれていたそうだ。アポロ工業が製造販売していたためこのように呼ばれたらしい。
(写真-0:54:09)の左側に写っている看板には「鷹番荘」と書かれている。これは容疑者が乗った車が目黒より3号道路を逃走中、本部からの指示で多摩川方面へ向かおうとしている場面。ちなみに目黒区鷹番1-17-17(学芸大学駅近く)で現在も営業している「鷹番荘」という宿が存在するが、看板の「鷹番荘」と同一の宿なのかは不明。
(写真-0:54:51)は、容疑者の乗った車を確保するための検問。橋の入口を封鎖している。右には山形の親柱が見える。(写真-0:54:53)ではその親柱をよく見ることができる。さて、ここはどこだろうか。本部からの無線から聞こえてくるのは「目黒」、「多摩川方面」という単語。この近辺の橋は丸子橋、ガス橋、多摩川大橋、六郷橋などがあげられる。これらの橋の古写真を調べてみると(写真-0:54:53)は丸子橋の親柱に酷似。橋のアーチ部分の形状も同じように見えるのでこの場所は中原街道の丸子橋、大田区側とみて間違いないだろう《35.585837145759456, 139.66982200134626》。こちらのサイトに完成当時(1935年)の丸子橋の写真が掲載されているのでご覧いただきたい。
現在の丸子橋は2000年(平成12年)に架け替えられたもの。映画に写っているのは初代の橋である。初代の橋は1934年(昭和9年)に建設された。初代丸子橋の親柱は、写真の交差点脇に展示されている(2022年9月撮影)。
余談だが、(写真-0:54:51)と(写真-0:54:53)を見比べてみよう。(写真-0:54:51)は影がはっきり映っており、逆光で被写体が暗くなってしまっている。対して(写真-0:54:53)の方は逆光ではなく影も全く映っていない。映画では連続しているシーンだが撮影は異なる時間帯もしくは別の日に行われていたことが分かる。
(写真-1:03:35)、(写真-1:03:41)、(写真-1:03:47)は逃走した容疑者を追いかけてきた場面。旧作映画ではよく写るお馴染みの新橋駅である《35.666510357834625, 139.7587046269071》。老刑事(石島房太郎)は容疑者(丹波哲郎)を追いかけてきたが見つからない。連絡のために電話ボックスに入ろうとしている。
(写真-1:03:57)は刑事(沢晃二)がどこかの橋の上で張り込みをしているシーン。数分後のシーン(写真-1:07:19)に写る橋と主構(道路面より上の部分)の形状がほぼ同じとみていいだろう。また、橋を渡った向こう側(警官たちが走っていく方向)は急カーブを描いているように見える。この形には見覚えがある。田町駅近くの「札の辻橋」に似ている。現在の札の辻橋は架け替えられた二代目の橋(2005年11月完成)なので初代の橋が写る書籍を探してみると見つけることができた。『写された港区 二』の47ページの写真55に昭和13年の写真が掲載されている。この写真はちょうど(写真-1:07:19)と同じ部分が写っており、同じ形状をしているとみていいだろう。よって、(写真-1:07:19)は「札の辻橋」《35.64372515552075, 139.74429745766477》でほぼ間違いないであろう。
国土地理院の空中写真(下記URL)をトリミングしてコメントを付加
https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=194761&isDetail=true
(写真-1:04:29)、(写真-1:04:36)は刑事(土屋嘉男)の張込みシーンである。刑事(土屋嘉男)の後方には橋と4~5階建のビル、煙突状の構造物が見える。地図で探してみると札の辻橋を芝浦方面へ降り切った所にある交差点(現・三田警察署前交差点)辺りから沖電気の芝浦工場を写しているように見える《35.64257136562528, 139.7456883010322》。国土地理院が公開している空中写真を確認すると建物の手前に煙突状の構造物が写っているのが確認できる。沖電気芝浦工場では通信機器を扱っていたようなのでアンテナ塔なのかもしれない。
国土地理院の空中写真(下記URL)をトリミングしてコメントを付加
https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1177274&isDetail=true
(写真-1:05:41)は、逃げる容疑者を追い駈ける刑事たち。画面中央とその左に写っている柵のような部分は後方にあるガスタンクの上部分だと思われる。手前にある低層のビルとちょうど重なって見えているようだ。
(写真-1:05:51)は、容疑者(丹波哲郎)が追う刑事たちに拳銃を発砲する直前のカット。後方に見える橋は札の辻橋であろう。
(写真-1:05:53)は容疑者(丹波哲郎)が発砲しているシーン。画面左奥にはガスタンクが見える。前出の(写真-1:05:41)とは見る角度が異なるのでタンクの存在がはっきりと分かる。手前右にある支柱には、分かりにくいが穴が空いている。ここには鉄パイプの手すりがあったのだと思われる。おそらく戦時中の金属供出で取り外されたまま放置されているのだろう。このように支柱だけ残っている様子は戦後間近の映画でよく見られる。
(写真-1:06:06)は容疑者を追う刑事たち。左側の壁は札の辻橋へ続く登り坂になっている道路。鉄道線路を背にして撮影している。
(写真1:09:01)は線路下にある下水道である。ここに容疑者(丹波哲郎)が一時身を隠している。ここは、制限高1.5mと低すぎる高輪橋架道橋下の道路すぐ側にある《35.63832953872943, 139.74207032738465》。先ほど掲出した「札の辻橋付近の空中写真(1948年)」の左下部分に見えている。なお、この線路の東西を結ぶ道路は付け替え工事のため2022年11月現在は閉鎖されている。
一連のシーンの中に(写真-1:10:16)のカットがある。右側に「三田自動車教習所」の宣伝看板を見つけることができる。キャメラはこの位置で真下へ下がっていく。すると(写真1:09:01)の下水道が見えてくる。ということは下水道の延長線付近にこの看板が設置されていると思われる。「三田自動車教習所」はかつて札の辻橋のすぐ近くに存在していたものである。現在その跡地には「三田ベルジュビル」(港区芝5-36-7)《35.644799615760746, 139.74507927736605》が建っている。
(写真-1:17:50)はエンド・クレジットが始まる直前のカット。映像はゆっくりと上方にパンするのでここが何処かはすぐにわかる。ここは晴海通りの数寄屋橋である《35.67293223549004, 139.76256445052093》。この映像は日劇の上層階から撮影しているように思われる。
終わりに
個人的にはまだまだ調べ足りない部分もあるのだが、一旦ここで筆を置くことにする。新たに分かったことなどはその都度追加していきたいと思う。長文の発表にお付き合いいただき、感謝いたします。
本作品の出演者を紹介しているページはコチラ
『殺人容疑者』を考える〈役者編〉
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【参考資料】
下記の書籍やWebサイトを参考にさせていただいた。作者の方々には心より御礼いたします。ありがとうございました。
- 「ロゴスキー」公式サイト
- ウィキペディア
- 京橋川 京橋 戦前まで、大都市東京を支える物流の拠点の一つだった
- 戦前土木絵葉書ライブラリ
- 新小杉開発株式会社 武蔵小杉の歴史 中原街道と武蔵小杉
- 『火災保険特殊地図 渋谷区 1949年、1955年』
- 『火災保険特殊地図 千代田区 1951年』
- 『火災保険特殊地図 港区 1954年』
- 『中央区沿革図集[京橋篇]』(東京都中央区教育委員会)
- 『東京都商工区分地図 中央区 1953年』(住宅協会)
- 『東京都全住宅案内図帳〈北区・東部〉1962年』(住宅協会)
- 『東京復興写真集 1945〜46 文化社がみた焼跡からの再起』(勉誠出版)
- 『写された港区 二』(東京都港区立みなと図書館)
- 『殺人容疑者』DVDソフト(紀伊國屋書店)
【編集履歴】
- 2022/12/05:初版公開
- 2022/12/12:「参考資料」項目の修正
- 2023/3/27:地図のポップアップ表示の改善