2020/5/27
はじめに
大正時代後半に東京市豊多摩郡渋谷町が町民のために建設した町水道の跡を歩いてみる。双子の給水塔で有名な世田谷区弦巻2丁目に現存する駒沢給水塔へ砧下浄水所からポンプで水を汲み上げ、重力を使って渋谷の町に配水していた。その後水道事業は、東京市、東京都に引き継がれる。
地図に記したように水道はほぼ一直線に駒沢給水塔にひかれている。駒沢給水塔から三軒茶屋までは完全に一直線で結ばれている。三軒茶屋から渋谷までの経路は調べてみたがはっきりしていないようだ。
一部の写真には緯度経度を表示しておいたので、位置を確認していただきたい。緯度経度部分をクリックするとグーグルマップが表示されるようにした。
さあ、出発
多摩川のほとりにある砧下浄水所を振り出しに歩いてみる。浄水所の裏手にある土手には川から取水するときに使っていた空気抜きの塔が建っている。赤い帽子でなんとなく可愛いらしい(写真-1)。
(写真-2)の出入口を背に歩き出そう。道は真っすぐ野川、岡本民家園方面へ続く。
浄水所からすぐの所に古そうな境界票を発見(写真-4)。「水用」と刻印されているようだ。境界票の下部はコンクリートでコーティングされてしまっているので正確に確認はできないが、なんとなく「道地」の上半分が見えているような気がする。
(写真-5)は野川を渡る野川水道橋。橋の脇の土手上に解説モニュメントがある。水道管とポンプが嵌め込まれている。昔の様子を描いた橋の中ほどにはレリーフが飾られている。
橋を渡って少し行ったところから岡本民家園までは、花壇がある緑道に整備されている。地元の方々が花の手入れをしているのを見ることができる。
岡本民家園は丸子川と国分寺崖線の間に位置している。この崖を越すために水道トンネルが掘られた。これが「岡本隧道」。解説パネルが設置されている(写真-10)。この辺りは樹木が鬱蒼と茂っており、夏でも涼しそう。
解説パネルにある岡本隧道の入口は岡本民家園に入園すれば見ることができるそうだが、現在(2020年5月)はコロナ禍の影響で休園しているので確認できず。民家園の裏手にある崖の中腹にある岡本八幡宮の境内から隧道の入口ではと思われる部分を見下ろしてみた(写真-11)。この丘は多摩川の浸食でできた国分寺崖線。鬱蒼と樹木が茂り、真昼でも薄暗く都心とは思えない場所。神社を越して坂を下ると大蔵通りに出る。この通りから数メートル崖寄りに岡本隧道の出口が確認できる(写真-12、13)。このすぐ脇に「澁水 79」と刻印された境界票がある(写真-14)。ここまではっきりと文字が認識できるのは珍しいのではないか。100年も前のものが、しっかり残っているのは嬉しいことだ。
岡本隧道出口の前にある「岡本もみじが丘」バス停は、メルヘンチックなデザインで目立つ。すぐ近くには地元に伝わる民話の紹介版も設置されている。
岡本隧道を出た水道みちは聖ドミニコ学園の脇の坂を上り真っすぐに環八通りに向かう。
(写真-19)の境界票は東京市(東京都)のシンボルマークが見える。その左側面にも刻印が見えるがはっきりとは読み取れない。渋谷町から東京市(東京都)に移管後に設置されたものだろう。
(写真-20)の境界票は風化が進んでおり、何と刻印されていたかはわからない。
環八通りとの交差点には横断歩道があるので街歩きにやさしいつくりとなっている。
環八通りを渡ると水道みちは、用賀一条通りを進んでゆく。首都高3号線の下をくぐり、OKストア新用賀店を左に見て旧大山道新道に合流する。大山道追分(新旧大山道の合流点)のすぐ手前に水道みちの標柱が建てられている。
この大山道追分から桜新町寄りのすぐの所に石材店があるが、このお店が自前で作ったであろう道標(みちしるべ)を見ることができる(写真-24)。
さらに進むと桜新町のシンボル、サザエさんが描かれた標柱が見える辺りに地蔵堂があるが、かなりの年代物と思われる。水道みちはこの付近から品川用水とルートを同じにして進む。
「石田氏水車」の標柱を見つけられる。今は建て替えられて高齢者向け住宅「水車の家」になっているが、以前は茅葺屋根の民家で品川用水に水車を設置して利用していたらしい。米搗きや発電をしていたらしい。是非、解説パネルの設置を期待したい。
桜新町駅を通り過ぎ、ドラッグストア「ココカラファイン」の脇から駒沢給水塔へ向かう一直線の道になる。この水道みちには説明板がいくつか設置されている。この水道みちは(写真-35)の出入り口に繋がっている。
この部分の水道みちには古そうな境界票が残っている。(写真-32)には「東」もしくは「界」と読める。(写真-33)は、「〇水」とあるが、左側の字の一部が「止」のようなので「澁水」と書かれてあったと想像できる。その下の数字は「〇68」ではなかろうか。
この給水塔は名称には「駒沢」とあるが、現在の住所は「世田谷区弦巻2丁目41-5」と弦巻(つるまき)に位置している。正面入口の右側に「土木學會選奨土木遺産」の記念パネルが設置されているが、金色の鏡面仕上げなので読みにくいことこの上ない。豪華そうに見えるだけで困ったものだ。
駒沢給水塔は、建設されたのは2基で両方とも現存しているが、計画では3基目も建設する予定でその場所まで確保されている。駒沢給水塔から三軒茶屋方面への水道みちはこの幻の3基目の給水塔が建っていたであろうと思われる場所から一直線に伸びている。このことは地図を見てみるとよくわかる。(写真-44)は3基目の用地をみたもの。(写真-45)のように三軒茶屋のキャロットタワーが真正面に見える。写真だと分かりにくいが、その場で見ると三軒茶屋に向かって下り坂になっていることがよく分かる。
住宅街をまっすぐに行くと駒沢中学校交差点で弦巻通りに合流する(写真-46)。現在の弦巻通りは水道みちを拡幅したものだろう。
弦巻通りを環七通りにぶつかるまで行き(駒留交差点)、そのまま真っすぐ進むとキャロットタワーの手前で世田谷通りに合流する。余談だが、駒留交差点は環七通り、弦巻通り、駒留通りの3本の道路が交わる六叉路となっている。
弦巻通りとほぼ平行に蛇崩川(じゃくずれがわ、現在は暗渠化され緑道となっている)が流れている。三軒茶屋2丁目で弦巻通りは蛇崩川と交差するが、その橋の名称は「水道橋」(写真-48)。ここに水道橋があったことの痕跡である。
蛇崩川を越えると道は上り坂になる。川は谷を作ることがよくわかる。
環七通りまでの弦巻通り沿いには古そうな境界票などは見当たらなかった。しかし、環七通りを越えると住宅街の細い道になっていくので古い境界票を見つけることができた(写真-50)。この境界票の刻印は「澁水 245」と読める。
当時の「澁水」境界票に刻印されている数字にはどんな意味があるのかは調べられなかった。距離を表しているのか、設置された順番を表しているのか?
コインランドリーが併設されている銭湯「駒の湯」を通り過ぎて、水道みちは世田谷通りに斜めにぶつかる。
渋谷町水道の水道みちは世田谷通りとの合流地点までは、確認することができたがその先がよくわからない。Web上で検索してみたがそれらしい情報は見つからなかった。地図を眺めてみても三軒茶屋から渋谷方面へ一直線に延びる道は見当たらない。しいて言うなら大山道(国道246号線)か。もしかしたら大山道に沿っていたのかもしれない。
追記1
2020/6/8
緊急事態宣言が取り下げられ、岡本公園民家園の見学ができるようになったので行ってきた。入園は無料。
主屋の裏手の崖下に岡本隧道の入口が残っている。金網ですぐそばには近寄れないが銘板がはっきり見える。写真は金網の隙間から撮影した。扉は半分ほど埋まっているが、現在は使用されているのかは不明。この金網の手前に年代物のマンホールがある。真ん中の紋章は「止」の字が三つ並んでいるので渋谷町水道のマンホールと思われる。
2020/6/1~2020/6/7の間、駒沢給水塔の夜間ライトアップが実施された。素人写真でお恥ずかしいが何枚か紹介する。
おまけ
世田谷通りとの合流点の手前で見つけたもの(写真-53)。昭和の時代の住宅街にはどこにでもあった芥箱または防火水槽ではなかろうか。今は植木鉢として活用されている。何と説明してよいのか分からないが、昭和のコンクリートは今のものとは異なる質感がある。街歩きをしているとこんなお宝を見つけることがたまにある。街歩きの楽しみのひとつでもある。