松竹映画の大部屋俳優「大杉侃二朗(おおすぎ・かんじろう)」について述べたいと思う。
この写真の人である。寅さんシリーズなどで画面の片隅にちょこっと写っていたりするので見覚えがある方もいるのではないだろうか。出演者クレジットに名前が表示される時もあればされない時もある。台詞がある役もあれば、ただ画面に写っているだけの役の時もある。顔がはっきり写る時もあれば写らない時もある。多数の松竹映画に出演しているのでたびたび見かけるうちに気になってきた。初めは名前が分からなかったが、作品によっては役名併記のクレジットで表示されることもあるので、それで「大杉侃二朗」という名を知ったのだ。
名の通った俳優さんではないので公開されている情報がほとんどないのが残念なところ。その少ない情報によると出身は東京市本郷区、本名は「加藤恒雄」1、「1942年に松竹蒲田に入社」2とある。1914年4月21日生まれで没年月日は不明。
松竹入社は1942年と書かれているが、それより以前から映画に出演していることを確認している。フリーで出演していたのだろう。
さて、いろいろな作品を見ているうちに不思議に思うことが出てきた。出演者クレジットに「大杉侃二朗」の名前が表示されていないのに本編には出演している、という場合があるのだ。普通であればクレジットなしで出演していたと考えるところ。しかし、そんな作品の出演者リストを見ると「大杉莞児」という名前がある。何だか引っかかる。もしかしたら別名義かと疑いを抱く。そして何年か何箇月かが過ぎた頃、役名併記の「大杉莞児」名義のクレジットがある作品に出会ったりする。出演しているのはまさしく「大杉侃二朗」と同じ顔の人。これで「大杉侃二朗」と「大杉莞児」は同一人物と判明する。
こんなことの繰り返しで「大杉侃二朗」には五つの名前があることが分かってきた。古い順に並べてみよう。
- 大杉恒雄(1950年頃以前)
- 大杉陽一(1950年代前半頃)
- 大杉莞児 or 大杉莞兒(1950年代後半頃~1960年代前半頃)
- 大杉侃二郎(1969年頃~1970年頃) ???
- 大杉侃二朗(1960年代後半頃以降)
しかし、ちょっと気になることが出てきた。「大杉侃二郎」名義のクレジットがある作品は今のところ2本しか見かけていないこと。1969/3/15公開の『喜劇 一発大必勝』(松竹)や1969/6/7公開の『とめてくれるなおっ母さん』(松竹)では「大杉侃二朗」名義なのだが、1970/12/16公開の『高校さすらい派』(松竹)では「大杉侃二郎」となっている点である。
もしかしたら「クレジットの誤表記では?」という可能性が出てきてしまった。クレジット誤表記はたまに見かける。有名なのは「坂本武」を「阪本武」と誤表記している作品が多くみられている。これと同様のケースと考えられなくもない。残念ながら、誤表記なのかを見極めるための資料が決定的に不足しているのでここでは結論が出せない。
筆者が観た作品の中で一番古いものは『花形選手』(1937年、松竹)、一番新しいものは『化粧』(1984年、松竹)。いずれもノンクレジット出演だった。
最後に少しだけ大杉侃二朗の雄姿を紹介しよう。『西住戰車長傳』では<第十八路軍兵 大杉恒雄>と役名付でクレジットされているが本編ではそのような場面は見当たらず、西住戦車隊の食事シーンに写っていた。『続 男はつらいよ』では大杉侃二朗の右後方に写っているのは松竹名脇役の谷よしの、松葉杖を抱えている男性は小田草之介。
私が観た作品の中で、大杉侃二朗出演作をリストにしたページを作ったのでご笑覧いただきたい→コチラ。
Web情報に映画俳優の改名に関する情報があるかどうか調べたところ「大映所属俳優の改名歴」3は見つかったがそれ以外は見当たらない。実際の映画作品から得た情報だけで改名を裏付けるのは難しいので、大杉侃二朗の改名情報をお持ちの方がいらっしゃったら、お知らせいただければ幸いである。
最後に、ここに『大杉侃二朗、3回ないし4回改名説』(あやふやな表現は御容赦)を提唱したいと思う。
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